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山形県内全域が私たちのホームタウン。
地域に根ざし、愛されるチームを目指して。



 
海 保 宣 生 さん
社団法人「山形県スポーツ振興
21世紀協会」理事長
 
1941年、東京都生まれ。立教大学経済学部在学中、全日本学生バスケットボール選手権などで優勝多数。1964年の東京オリンピックにてバスケットボール日本代表に選ばれる。同年、住友金属工業株式会社入社。同社のバスケットボール部監督や日本バスケットボール協会理事を経て、1996年、鹿島アントラーズFC常務取締役就任。2001年、バスケットボール女子日本リーグ機構専務理事就任。2006年5月より山形に。
スポーツ山形21
プロサッカーチーム「モンテディオ山形」を運営する全国初の公益法人。1998年2月に活動を開始して以来、1999年には女子駅伝チームを発足させるなど、「元気のある山形」を創造するためのさまざまなスポーツ振興活動をしている。
  モンテディオの語源はイタリア語。

「モンテ」が山を、「ディオ」が神を意味します。
  去る7月25日、天童市のNDソフトスタジアム山形で、「モンテディオ山形VSザスパ草津」戦が行なわれました。結果は1対0で山形の勝ち。J1昇格の切符である2位を守ることができました。
  3月8日に開幕した今年のJ2リーグ戦は、12月の閉幕までに、15チームが3回総当たりで計42回の試合を行い、J1昇格を争います。毎年、その切符を手にするのは上位2チーム。3位はJ1下位チームとの入れ替え戦をクリアしなくてはいけません。現在2位を維持するモンテディオ山形の残り試合数は、15回。このまま順位をキープして、念願のJ1昇格を果たせるのかどうか、各方面から熱い視線が注がれています。


モンテディオ山形の母体はサッカー同好会

  モンテディオ山形の母体である鶴岡市のNEC山形(現NECセミコンダクターズ山形)サッカー同好会は、1984年に結成されました。その後、徐々に頭角をあらわしたチームは、87年に「べにばな国体サッカー競技承引企業」に指定され、本格的に強化を開始。その甲斐あって、べにばな国体翌年の93年には、東北地区で初めてJFL(全国のアマチュアリーグ最高峰)に昇格しました。
  サポーターから「ミスターモンテディオ」と呼ばれ、一昨年の引退まで13年間にわたってチームをリードしてきた高橋健二さんは、94年にチームに加入。発足したばかりのJリーグブーム全盛のころでした。その一方でJFLに昇格したてのチームは、プロ選手より社員選手の方が圧倒的に多く、サッカーに専念する環境も整っていない状況。
それでも高橋さんは、「生まれ故郷でサッカーを一から見つめなおしたい」と、大学卒業と同時に山形に戻り、初の県出身プロ選手として契約しました。「何よりも応援してくれる方々の前でサッカーができる喜びの方が大きかったし、チームもこれからどんどんよくなるだろうと思っていました」。高橋さんのその思いを裏付けるかのように、Jリーグへの昇格を目標に定めたチームは、翌年「モンテディオ山形」に改称。97年には、運営母体もNEC山形から「社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会(通称・スポーツ山形21)」に変わり、プロスポーツチームを運営する全国初の公益法人が誕生します。そして98年には全員がプロ選手となってJFL3位に、99年にはJ2リーグ初参加を果たしました。「Jリーグの加盟は、チームの大きな節目でした。自分たちの次の目標がJ1昇格という明確なものになりましたから」。


県全域がホームタウン モンテディオ山形の今

  それから9年。モンテディオ山形は、J1昇格という目標を懸命に追い続けてきました。特に、昇格争いの最終戦までもつれ込み、結局3位で終わった2001年や、4位にとどまった04年などは注目度もきわめて高く、スタジアムが観客で溢れかえったといいます。06年5月にスポーツ山形21の理事長に就任した海保宣生さんは話します。「ただ、チームの昇格争いだけで観客を呼ぼうとすると、チームが勝てない時には人が集まらなくなってしまうという事実があるんです」。
  海保さんは以前、Jリーグ史上最多の11冠を誇る名門クラブ、鹿島アントラーズで常務取締役をつとめ、その経験から、プロのサッカーチームが地域にあることの意義を大きく受け止めています。
「モンテディオ山形のホームタウンは山形県全域なので、チームは皆さんのものです。だから県全体でもっと応援してほしいし、逆にチームはいい試合をして県民に夢や感動を与えてほしい。こうした両者の相互関係を普段から作っていくことが大切なんです。そうすれば山形は今よりもっと元気になるはずですよ」。

チーム力のアップと観客数アップの試み

  そのために必要なのが、まずチームづくりです。今季の監督は小林伸二さん。かつて大分トリニータをJ1に昇格させ、セレッソ大阪でJ1優勝争いの主役を演じた名監督です。昨年10月にゼネラルマネージャー(以下GM)になった中井川茂敏さんの熱心なオファーによって、福岡からやってきました。「新人選手の獲得やチーム編成は、新監督と新GMが相談して決めました。その結果、今季は選手たちも監督を信頼していい動きをしていますし、われわれフロント(クラブ運営事務局)とチームの間にも信頼関係ができています。今の好成績は、こうした雰囲気も影響しているのかもしれないですね。あとは、われわれフロントがいかにチームを県全体で盛り上げるよう導くかです」。
  その具体策のひとつが、スタジアムの観客動員数を上げる仕組みづくりです。まだ来たことのない人をはじめ、多くの人に足を運んでもらって、試合の感動や興奮を伝えようと、さまざまに集客の工夫を行なっています。屋台を設置したり、イベントを開催したり、花火を打ち上げたり。試合ごとに対象者を絞って招待することも始めました。「こうした努力を1つずつ重ねて、スタジアムに来るのを楽しみにしてくれる人が増えればいいですね。チームがこのまま勝ち進んで、観客が毎試合1万人集まるようになったら、山形に奇跡が起きたと日本中から讃えられますよ」。
  高校生対象のユース、中学生対象のジュニアユースをはじめとする、子どもたちの教育普及活動にも力を入れています。高橋健二さんも、現在は育成普及コーチ。県内を駆け回り、園児から小学6年生までの子どもたちにサッカーの楽しさを伝えています。
「モンテディオ山形が地域に愛されるチームになるために、僕たちは側面から面白さを伝えていきたいです」。
  山形県の貴重なプロスポーツチーム・モンテディオ山形。次の試合も、もう間近です。

母体であるサッカー同好会発足から24年、
モンテディオ山形として13年。これからも走り続けます。

(スプーン2008年8月号に掲載)
 
 
高 橋 健 二 さん
ユースアカデミーグループ
兼 育成普及コーチ
 
1970年、山形市生まれ。日大山形高等学校卒業、国士舘大学入学。在学時にアルゼンチン留学。1994年、NEC山形に、山形県出身の初プロ契約選手として加入。以来、JFLから通算すると416試合出場、J2リーグ通算では288試合出場を果たす。2007年、現役を引退し、モンテディオ山形のフロントに入る。現在はモンテディオ山形の下部組織であるスクール・普及活動コーチに就任し、低年代の育成に尽力中。
 
 
酒田市飯森山の多目的グラウンドで
サッカー教室をする高橋健二さん。

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