アートはジャンルじゃない。
日常のなかに溶け込んでいるんです。
現在、鶴岡アートフォーラムで、一風変わった展覧会が開催されています。世界で大活躍中の2人組アートユニット「近森基++久納鏡子」による「市民交流プログラム第3弾『もしもの森』」展です。この展覧会は作品に近づくと、それまで潜んでいた「影たち」が動きだすという発見と驚きのテーマパーク。子どもも大人も一緒に楽しめる参加型の映像展覧会です。企画者は、アートフォーラム副館長の那須孝幸さん。那須さんは、今までに全国各地で絵画、彫刻、工芸、写真、映像など、100を越える美術展や文化イベントを企画してきた、秀逸な若手キュレイター&アートディレクターです。
那須さんは昭和45年、遊佐町生まれ。本格的に美術を学ぼうと決めたのは、高校3年生の時でした。「制作も鑑賞も大好きだったけど、特別な教育を受けたわけでもないし理系だったので、美術を進路に結びつけようとは思っていませんでした。でも、たまたま手にした瀧口修造の詩集『詩的実験』との出会いから、ジャンルを越えた総合芸術の存在を知り、すごく感銘を受けたんです」。瀧口修造は、第2次世界大戦後の日本を代表する美術評論家。1950年代には、美術、文学、音楽、演劇、写真、建築など、あらゆる芸術を融合させた前衛芸術集団「実験工房」の設立に深く関わりました。当時のメンバーには、作曲家の武満徹などもいます。その中の一人、山口勝弘氏が筑波大学で教鞭を執っていることを知った那須さんは、進学先を同大学に決定。平成元年に進学します。
その後の那須さんは、まさにアートまっしぐら。まず、毎週末には美術館や画廊めぐりを欠かさず行うとともに、作家の制作助手や美術館展示の手伝いを通じて、現場の世界を目の当たりにします。「あの頃は古今東西のアート表現を、シャワーを浴びるように鑑賞しまくりました。計算すると、これまでに観た展覧会の数は3万展以上にもなるんです(笑)。何でもアートと結びつけて考えるので、今では趣味を選べなくなりましたね」と那須さん。また、「アートと関わりがある文化」を追求するうち、関心は「箱物イベント」全般に拡がります。歌舞伎や音楽、演劇、スポーツなど手当たり次第に観て回った那須さんは、在学中に自ら展示企画も起こし始めました。
卒業後、東京都写真美術館の設立準備に携わり、展覧会企画とともに教育普及事業を担当します。しかし当時、ワークショップや美術講座はまだ目新しく、PRしてもなかなか関心を得られませんでした。那須さんは、「自分がこれまで関わってきたアートが、結局は専門家向けの狭い世界だった」ことを改めて痛感。自分が惹かれ続けているアートの奥深さや広さ、おもしろさを、社会に親しみやすく紹介する橋渡しの役目に強い関心を抱くようになります。
「それからは、それまで以上により明確な使命感をもって、アートと接するようになりましたね」。
その後、那須さんは倉敷市立美術館学芸員として、岡山に移ります。作品のメッセージをわかりやすく伝えたいとの思いから、著書やカタログデザイン、編集などを自ら手がけるようになりました。また、大学でも教鞭を執りはじめるとともに、国や県など自治体や行政の芸術政策にも率先して関わるようになりました。
「僕の仕事のテーマは、ジャンルを越えた文化交流です。アートという言葉を使わず、いかにいろんな分野と関わっていけるか。自分にとってのアートは、誰とでも関われる無限大なノンジャンルですから」。拠点を庄内に移して3年。那須さんがどんな文化の風を故郷に運んできてくれるのか、今後の活躍が楽しみです。 |
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5.鶴岡アートフォーラム「光を紡ぐ〜石井勢津子 ホログラフィー・アートの世界」展(2006)より。


6.「スペクタクル」展(2004)より。岡山市と倉敷市の文化連携事業(6会場11企画34イベント)を総指揮。
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7.倉敷市立美術館「わくわくどうぶつ ミュージアム展」(1999)より。体験型会場セットを手づくり。子どもたち自身が一番のリピーターとなったそう。 |
ファミリーでもしもの森へ迷い込もう。
もしもの森
メディア・アートと影絵の現在
4月26日(土)〜5月25日(日)
鶴岡アートフォーラム
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会期中のこの展覧会は、「近藤基++久納鏡子(minim++/plaplax)」が贈る、過去最大規模の個展です。最新テクノロジーを取り入れながらも、影をモチーフにした二人の表現は、誰にとっても親しみやすく、国内外で高く評価されています。今回は、昨夏のワークショップで作った、参加者とアーティストのコラボ作品も展示中。また、5/7までの毎日と、会期中の土日は、ギャラリーツアーも行っています。14時〜15時、申込不要。 |
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