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 Home > スプーンインタビュー 178「今田龍子さん(『婦人画報』編集長)」
 
 
こんた・りゅうこ
1956年(昭和31年)、山形県大石田町に生まれる。青山学院大学文学部卒業後、婦人画報社に入社。「婦人画報」編集部配属となり、以来、同誌編集者として一筋にその企画制作に携わってきた。
1999年、副編集長、2003年、編集長に就任。04年には、「婦人画報」創刊100周年を祝った。
大ヒットした1994年3月号特集「最上川雛紀行─雛の隠れ里・大石田」を企画。編集担当者として、執筆者の藤田順子さん(お雛さま研究家)とともに、酒田や故郷大石田をはじめ、山形県内・最上川流域の各地に伝わる雛の数々を訪ねて、全国に紹介した功績は大きい。

 

今田龍子さん

「編集者ほど素敵な商売はない」
と言い合いながら、生みの苦しみと
喜びを日々かみしめています。


今田龍子さんは、創刊103年を迎える「婦人画報」の編集長。
去る3月8日、庄内観光コンベンション協会主催「日本のお雛さま文化交流会」が開かれ、吉徳資料室長・小林すみ江さんの基調講演後に行われたシンポジウムには、今田さんもパネラーのお一人として出席されました。
当日、和服にお召し替えなさった今田さんをホテル・リッチ&ガーデンで撮影。翌朝、同ホテルにて、インタビューをさせていただきました。



「婦人画報」最新号より。今年8月号特集「北のレストラン」では、酒田の「レストラン欅」と「ル・ポットフー」の記事が、心のこもった美しい誌面で紹介されていて、感激しました。


──大石田町のご出身でいらっしゃるそうですね。
  どんな少女時代を過ごされたか聞かせていただけますか。


 父は小学校教諭、母は農協勤務という共働きの家庭で、祖父母を幼い頃に亡くしましたから、私は鍵っ子でした。一人で絵本を読んだり、ピアノを弾いたりするのが好きな子どもでした。中学時代は、新体操に夢中になりました。私たちの女子体操部は、どうしても郡大会を突破できなくて、県大会出場が悲願でした。お正月も返上して、練習に打ち込み、3年生の時、ついに県大会に出場できたんです。会場は酒田でした。私はそこで初めて、一人の力ではなくて、みんなの力が一つになることによって生まれる、奇跡的な推進力というものを学びました。
  高校は、山形北高の音楽科に進学し、毎日3時間〜5時間はピアノに向かうという日々を過ごしました。自分は何者なんだろう。どこから来て、どこへ行くのか。それは青春時代に誰もがつきあたる漠とした思いです。私は、何者かでありたい、と思ったんですね。表現する人でありたい、と。15歳の私の頭に浮かんだのは音楽でした。周囲の反対を押し切り、中学3年の夏に受験準備を始めました。なんとか合格はしたものの、多くの才能の中で、挫折感も味わいました。それでも、中学、高校時代に、何かに打ち込んで夢中になるという時期を持てたことは幸せでしたし、その体験はすべて血となり、肉となったと感じています。
  音楽大学を受験したのですが、浪人しても希望の大学には合格できなくて、悩んでいた頃、父が懇意にしていた頑固で芯のあるおじいさんが、私にこんなことを言ってくれました。「努力して、一つの道を追究することは、人間の美しい姿である。しかし、いくら努力しても実らない時も人生にはある。そういう時は、ちょっと方向転換してみると、新たな道が開けてくるのではないか」。私は気持ちが軽くなりました。それで、文学部に進学することにしたんです。


3月8日、「日本のお雛さま文化交流会」では、(株)吉徳資料室長・小林すみ江さん(上段左)の基調講演を受けて、「お雛さまと日本の心」と題したシンポジウムが行われました。出席者は、酒田市・本間家旧本邸の本間万紀子さん(上段右から2つ目)、東京都・中野区立歴史民俗資料館主任専門員の栩木志野さん(中段左)、京都市・宝鏡寺門跡百々御所文庫学芸員の田中清流さん(下段左から2つ目)、鳥取県・用瀬町ふるさと振興事業団理事長の池本茂晴さん、そして、「婦人画報」編集長の今田龍子さん(右上など)。


──「婦人画報」の編集者というお仕事を選んだきっかけはありますか。

編集者になりたいなんて、まったく現実味のない憧れに似た思いでした。ただ、「婦人画報」は、子どもの頃から読んでいました。家では母が「婦人之友」と「暮しの手帖」を、父の従妹で、私より8歳年上の大好きなお姉さんが「婦人画報」を毎月購読していました。ですから、私の周りにはいつもその3誌がありました。中でも「婦人画報」はビジュアルページが多く、ファッションもアートもあって、美しいものがぎっしり詰まった宝箱のように思えました。
  大学を卒業して就職、という時に、出版社は、婦人画報社一社だけアプローチしました。最初、今年は公募していないと言われたんですが、どうしてもあきらめきれなくて、私、手紙を書いたんです。なぜ私が「婦人画報」を好きかというと、この雑誌には他誌とは違う理念があって、「女性よ、美しくあれ、豊かであれ」ということを啓蒙している雑誌だと思う。もし私が編集者だったら、こんな企画をやってみたいということを書いたんですね。ほんとに恐れを知らぬというか(笑)。そうしたら、時の人事部長が「なんだか面白い手紙がきたから」というので、「婦人画報」の編集長に渡し、部員にも見せたりしたんだそうです。それで、入社試験を受けさせてもらえることになりました。採用が決まった時はもう、うれしくてうれしくて。入社すると私は「婦人画報」編集部に配属されました。それ以来ずっと「婦人画報」の編集に携わってきました。
  それまで編集部は、料理班、着物班、住宅班、ファッション班などに分かれていたのですが、当時の編集長が、それとは別に、世の中の動きを柔軟にキャッチして、ノンジャンルで面白い特集を組む特集班を立ち上げようとしていました。その節目に入社したのはめぐりあわせですね。私は新設の特集班に所属することになりました。2人の先輩からは「人事異動の可能性を考えると、時間は限られている。おれたちが教えられるだけ教えるから、1年で一人歩きできるように吸収してくれ」と言われました。私の編集者としてのキャリアは、そこから始まったんです。


左は大石田町・榎本家、中央は酒田市・本間家旧本邸、右は鶴岡市・酒井家のお雛さまを紹介したページです。

 

──編集の仕事と、その魅力についてお考えを聞かせていただけますか。

 編集の「編」は「編む」ということ。編集者の仕事というのは、さまざまな人の力を「編んで」いくことだと考えています。
「婦人画報」の場合、編集者は、文章を書く、写真を撮る、デザインするといった異なる分野の才能と協力し、競い合って、制作しています。でも、編集者は、そういった制作業務の一部だけを受け持っているわけではありません。世の中の何をキャッチして、どう発信していくのか、という企画そのものの方向性を定め、それを最後までやり抜いて、実現することに責任を負っているわけです。
  誰しも、音楽を聴いたり、演劇を観たりして感動すると、その感動を家族や友だちに伝えたいと思いますよね。編集者も、その気持ちは同じです。ただ、編集者は、個人的なつながりを超えた、より多くの人々に伝える場を与えられているわけですから、一般の人よりもちょっとだけ、情報をキャッチするアンテナが高く、感動するセンサーも熱くて深くなければならないと思います。そして、そこでキャッチしたものを、どう表現したらいいか、自在に工夫することができるわけです。写真はAさんがいいのか、Bさんなのか。文章は自分が書くのか、作家原稿がいいのか。そういったことをコーディネートする力、キャスティングする力によって、各分野のプロたちの力を結集させ、多くの人に感動を熱く伝える企画を実現する。それが、編集者の本来の仕事だと思います。作家やアーティストは、個人のクリエイティブ力一本で立っているわけですが、編集者は、人間と人間のコミュニケーションの中から、力を重ね合わせて、新しい表現を生み出していく喜びがあります。それが、編集の原点であり、醍醐味だと思います。そのことが面白くて、夢中で、もう27年になりました。自分の仕事に生きがいを持てることは幸せです。編集長として、創刊100周年の記念事業に携わることもできました。
「婦人画報」は今年、創刊103年を迎えました。「婦人」という言葉は、今ではあまり使われなくなりましたが、「婦人画報」が「婦人」という言葉に込めてきた思いを補完するものとして「ベルファム(美しい人)」という新たなキーワードを作りました。「ベルファム」とは「年齢を重ねるほどに咲き続ける女性」。知ること、学ぶこと、考えることを日々重ねて、人は美しくなってゆくのだと思います。
  雑誌の誌面は、その時代を色濃く反映しながら変化していきますが、日本の女性たちに向けて「豊かであれ、美しくあれ」と願いながら、魂を込めて、一つ一つの記事を制作する「婦人画報」の基本姿勢は、創刊以来百年余、変わりはありません。多くの女性に読み継がれてきたその魂の系譜に、私自身も連なっている。「編集者ほど素敵な商売はない」と冗談を言い合いながら、生みの苦しみと喜びを日々かみしめています。

(スプーン2008年10月号に掲載)  
佐藤晶子=取材・文
text by Satoh Akiko
和島諭=写真
photograph by Wajima Satoru
取材・撮影協力
庄内観光コンベンション協会
ホテル・リッチ&ガーデン


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